2020.02.29
憍慢弊懈怠
願正寺住職のブログです。
タイトルの「憍慢弊懈怠 きょうまん・へい・けだい」は『無量寿経』*の言葉です。
「憍慢弊懈怠 難以信此法」
憍慢と弊と懈怠とは、もってこの法を信ずることかたし
おごりたかぶり、正しい見方のできない、怠け者は、仏法を信じるとこができない。ということですね。
最初に無量寿経のこの言葉に出会ったときは「これオレや!さすが大教。親鸞聖人が「邪見憍慢悪衆生」と言わなくても、すでにオレのことを見抜いとった。」と思ったものです。
オレ=おどりたかぶり、物事を正しく見られない怠け者
イヤ、そんなはっきり書かれるとそんなでもないですよ。結構いい人で、やるときはやりますよ。
憍慢弊懈怠と言いながらも、そうではない自信が実はあるところが憍慢ですね。
イヤラシイわ。
と言っておきながらそうイヤラシイと思ってないのが、イヤラシイ。と言っておきながら・・・・
無限ループです。
真実を探そうとすると無限ループに陥るのが人間でしょうか。
気軽に書いていきますね。
*無量寿経
『無量寿経』(大教)、『観無量寿経』(観教)、『阿弥陀経』(小経)で浄土三部教。 親鸞聖人「真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。」